カンボジアのボジ子。

カンボジアで2年の仕事を終えて一時帰国中。シェムリアップの美味しいレストラン、手作りごはん・お菓子、たまに観光・旅行ネタ、ダイエット、コスメなど広く浅~~く。

カンボジアと、音楽と。

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イタリアの某友人に誘われて何度か行ったフリースクールで、
音楽の先生を経験させてもらったのはもう1年以上前の話。
情操教育や知育支援にはほんの少しだけ興味があったし、
「楽しいことがあれば皆頑張って通ってくれるかもしれないし、
そうしたらフリースクールで教えることも定着していくはず!」
という考えになんとなく乗っかって
「一緒に楽しめればなんでもいいやー」という気持ちでやり始めたら、
みんな思いのほか真剣に音楽理論を学ぼうとしてくれて、
すぐに楽譜の音階がわかるようになり、
簡単なリズム譜なら手拍子を打てるようになった。
(私も楽理は疎いので、物足りないって言われたらドウシヨウと震えた。)

その後暫くして、鍵を任せた英語の先生が何もかも持ち去る事件が起きて
私はそのプロジェクトから少し離れることにした。
カンボジアにきて間もないころの私には衝撃的な出来事だったし、
怒りや疑問はいつまで経っても消えなかった。。。



けど、あのフリースクールからはたくさんの学びを得た。
その中でも一番、今後の課題と捉えるべきだと思った事がある。
フリースクールに来る子供たちは一度参加したら熱心に取り組む一方で
個々に理由があるにせよ出席率だけを見ると非常に悪いということだ。
(「フリー」は何もかもフリー。無料で授業を受けられるかわりに
来るも来ないもフリー。ほんとに何もかもがフリー。)

年齢は8歳から二十歳ぐらいまで色んな年の子が居て、
私より英語が話せる子も居ればABCの練習から始める子までが
いっしょくたになって授業を受ける。
個々のレベルは特に関係なく、そのスクールには何となく
突貫工事的な雰囲気があった(笑

学校に通える子と通えない子の違いをひしひしと感じたし、
シェムリアップ市街地と、そこからたった20分バイクで離れただけの農村が
私の目にはまるで違う国みたいに見えて、本当に驚いた。(東京と滋賀ぐらい。笑)
 
そこには本人の意思だけではなく家庭の事情もあったりするので
全ての状況に応じてこちらが柔軟に対応していくのは果てしなく難しい。
継続的、持続的な活動のためにはフレームがガチガチなのも良くないけど
フリーすぎるのも難しいということに気づかせてもらった。
更に、継続することだけが目的になってもいけないし、
効率よくやらなければならないけど、それらのバランスをとるのは容易ではないのだ。

多分、色んな事に対して「まぁ、いっか」って思える人じゃないと続けられない。
(つまり無駄に頭がかたく、性格も頑固親父な私には、無理。)



 
 
話が逸れた!
日本で生まれて日本で育ち、日本の情操教育を受けた人は
曲に合わせて手拍子を打ったり、4拍子を打ちながらそれに合わせて歌ったり、
皆で合奏したり・・・、そういうことが自然と出来るけど、
カンボジアの人たちには西洋音楽の楽理が浸透していないので
クメールソング(ちゃんとした拍子が、あるんだか、ないんだか・・・)は歌えても
日本人が学校で学ぶようなメソッドは何一つ通用しなかったりする

別の機会で、ダンスを教わるときも衝撃を受けた。
日本だったら「1,2,3,4」と拍子に合わせて踊るけれども、
こちらの人たちはそれも全く違うやり方なのである。
「モイピー!モイピーバイ!モイピーバイブォンプラム!
モイピーバイブォンプラム!!モイ!モイ!」と、
数を数える掛け声だけはあるものの、それもリズムにノッている様子はなく、
「曲に合わせて何かをする」という概念がどこにも見当たらない・・・。
(私は驚きのあまり暫くダンスレッスンに参加できなかったw)
カンボジアのテレビのバックダンサーを見たらそのスゴさが少し分かるかもしれない。



で!だ。

私は英語が不得手なので、事前に色々教材を用意して
言いたいことも辞書で引いたりしたけれど、
私が専門用語を英語で覚えても
それが相手に伝わらなかったら意味が無い。
いかに喋らず(笑)、いかに工夫して楽しそうなことをやってみせて
皆を巻き込んで実践する中でそれを伝えていくか、
そんなことに頭を悩ませながら試行錯誤するなかで
「音を楽しむ」というコトの真髄にほんの少しかすった気がする。
 
授業の最後に「先生、歌って!」とリクエストがあがり、
私はそれに応えて何曲か歌うんだけれど、
「私、歌手になりたい!」と目を輝かせてくれた女の子が居て、
私は本当にそれが嬉しくて。
歌っていうのは、初期費用ゼロだから。w
健康でよく鳴るカラダさえあればどこでもいつでも出来るから。
ただ、その学びの機会がまだまだ少ないというのは、
すごくすごく、もったいない事だなーって。

 
高校のころ卒論で「音感を育てるツール」作って
これさえあれば先生が居なくても☆的な自己満足に浸っていて、
大学でもそういう事にはずっと興味を持っていた。(研究成果は一切無しw)
けれど、そもそもそのツールを動かすにはパソコンやタブレットが必要で、
そのための人員やそれを置く施設や、それを管理できる人、
それを使って授業をする子どもたち、教える先生・・・・って色々必要なものを考えると、
5年前の私が夢見ていた世界と現実には大きな隔たりがあるんだよな。
 
この国にはこの国の音楽があって、それには他の国に無い良さがあって、
独特のリズム、コード進行、スケール、音色で。
その音からはカンボジアのシルクのような深みのある色が見えるし
南国の色鮮やかな花に似たとても良い香りがする。
そういう音楽を大切にしつつ、デファクトスタンダードな「ドレミ」を学んだら
もっともっと良い化学反応が起こせると確信しているのである。
 
音楽を学ぶということは、歴史を、文化を、言葉を、
人の気持ちを、愛を、季節を、世界を、知るということ。
カンボジアが国として発展していくなかで、その機会が今後増えていくことを願います。
ほんでもって、ここで生活しながら、学ぶ機会をもらったんだから、
いつか何か自分に出来ることで返したいなー。


 
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